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後世へ引き継ぎたい宝物。「新横浜遺産」

登録基準は以下の通り.
【その1】新横浜およびその固定された建造物・造形物・動植物・文化・風習等であって,歴史上,芸術上,学術上または保存上顕著な普遍的価値を特には有せず,所有者を除く他のいかなる機関・団体・個人も,これを後世に引き継ごうと特段の保全活動を行っていないもの.

【その2】前項の定めによらず,当サイトが登録すべきと判断したもの.


登録No.001
「新横浜ビルディングとオゾン通り」 − 新横浜・歴史的建造物遺産 −

 No.1の称号は,やはり最大の敬意を表してこの建築物に進呈すべきだと考えられる.1964年竣工,東海道新幹線の開業・新横浜駅開設と時を同じくして駅前に真っ先に登場したビルである.現在は「駅ビル」と言えば,JR東海・新横浜中央ビル(キュービックプラザ新横浜やホテルアソシアが入るビル)であるが,昔は新横浜の駅ビルと言えばこのビルであった.2011年春,柔らかな山吹色に塗り替えられ,まだまだ健在である.傍らで今も賑わっているオゾン通りも含め,「新横浜歴史的建造物遺産」に登録したい.

(登録日2011/5/27)


登録No.002
「新横浜1丁目岸根交差点歩道橋」 − 新横浜・記録的建造物遺産 −

 推定日本一の歩道橋である.横浜市内1,2を争う交通量を誇る岸根交差点に掛かるこの歩道橋の,東側角の階段部分は,歩道から歩道橋最高部に上りつめるまでのスロープの90°ターンが実に9回.これはおそらく全国探しても類を見ない.永きに渡って保全し続けたい新横浜の日本一である.なお建設は1994年と比較的新しく,それまでこの位置には交番があった.現在の新横浜駅前交番は,神奈川県内の独立型交番としては初の3階建である.

(登録日2011/5/27)



登録No.003
「スタジアム通りの緑化ポール上のカモメオブジェ」 − 新横浜・絶滅危惧オブジェ遺産 −

 この緑化ポール自体は1999年に「緑の環境デザイン賞・緑化大賞」を受賞した街路灯であるが,登録対象はそれではなく,その上で羽を広げるカモメのオブジェである.新横浜は横浜ではないので,カモメはいささか違和感があるが,ポール設置当時は何羽もいたカモメは,次第に肢から一羽折れ二羽折れし,2011年時点ではただ一羽残るのみとなっている.オブジェ下部の,波とカモメの肢のみを残すポールも多い.大切にしたい最後の一羽である.

(登録日2011/5/27)



登録No.004
「新横浜公園内の案内地図」 − 新横浜・廃止駅名伝承遺産 −

 主に,日産スタジアムから家路に付く人々のためにその案内地図はあると考えられる.日産スタジアム東ゲート広場にあって,その地図は未だに最寄駅の一つ「北新横浜駅」を「新横浜北駅」と案内している。この駅名称は1993年3月開業から1999年8月までのわずか6年間しか使われなかった名称(紛らわしさ解消が改称の理由)であるが,もうそれから使用期間を優に上回る時間,ずっと放置されてきた.いわば主な役割は,正しさを伝える案内地図というより,歴史を伝承する掲示板である.(この情報はブログに投稿いただいたネタが元です.)

(登録日2011/5/31)



登録No.005
「新横浜公園のスロープ手すり」 − 新横浜・巧の技遺産 −

 新横浜からは実はけっこう遠くなってしまうが,新横浜公園の最西端にその手すりは存在する.2007年に世界的な金属価格高騰があり,巷では金属盗難が横行した.新横浜でも「さんかくはし」たもとのステンレス製手すりが盗まれてニュースにもなった.その頃に設置されて,決して盗まれないであろう”一本もの”の手すりがこれである.有に100mを超える長さであるが,その直線性,歪みの無さは見事.時々観に行きたくなるほどの精巧さであり,匠の技と言う他ない.

(登録日2011/5/31)



登録No.006
「非ユニバーサルデザインなサインポスト群」 − 新横浜・独自案内遺産 −

 いくつかの案内板群としてまとめての登録である.ユニバーサルデザインのピクトグラムは新横浜で多く目にされるが,今般登録の案内板については,おそらくJIS規格のデザイン(JIS Z 8210 案内用図記号)が公式に設定される以前に設置され,独自のマークなどを記したままの案内板である.(左)大豆戸町:この電車のマークはあくまで東横線の旧6000系車輌のイメージか.JIS表記とは異なる.(中)小机町:日産スタジアムも横浜アリーナも独自の「ロゴ」的なものを示してある交通標識.おそらく修正し忘れ.(右)新横浜陸橋下:鳥山町の医療施設群への案内標識であるが,目的の色をたどってゆくと辿り着けるような,病院の廊下的な誘導を目指したかったのではなかろうか.

(登録日2011/6/6)

一応,リハビリセンターにたどり着いた場所に,どうも上右端案内と連動しているらしき案内標識が存在している.


登録No.007
「市営地下鉄2番出口の看板上部の日焼け」 − 新横浜・旧施設ロゴ伝承遺産 −

 新幹線新横浜駅から見えることで有名な畑がある.そちら側に出られる市営地下鉄2番出口上,「SHINYOKOHAMA」と書かれた赤い看板の上部にある「日焼け」に普遍的価値を認め,新横浜遺産に登録する.そもそも,なぜ看板に「SHINYOKOHAMA」とだけ書いてあるのかが意味不明だが,それは元来ここには「ASTY SHINYOKOHAMA」と書かれていたものが,「ASTY」のロゴのみ取り除かれ”支店名”だけ残したことによる.そして,この「日に焼けた部分」は,今は無き「ASTY」のロゴ痕跡を明確に残している.今後とも塗り直し等という野暮は行って頂かない方が望ましい.
 なおこの出口に関しては,「ASTYの看板下をくぐるとASTYに行かれなかった(=地下鉄に下りてしまう)」とか,「この出口は篠原口から横浜線を地下道でくぐった場所なのでいわゆる『篠原口』ではないはず」とか,「大和田伸也・五大路子掲示板があるから『大和田口』と地元民が本当に呼んでいると言われるが本当にそれで通じるか疑問」とか数々の論争があるので,これらについては引き続き注視すべきである.

(登録日2011/6/25)

※ついに塗り直され,この遺産は消失しました.(2013/2/8記)




登録No.008
「新横浜プリンスホテルの壁のごく一部」 − 新横浜・象の風邪薬遺産 −

 1991年4月完成の新横浜プリンスホテルは新横浜のシンボルタワーであり,2年3か月間だけだが横浜市でもっとも高いビルでもあった.しかし登録対象はホテルそのものではなく,『外壁の表面に無数に付けられた風圧を逃がすための突起物のうち,プリンスペペとの接合部吹き抜けにめりこんだ部分にある,たった1つ一般人が手で触れられるそれ.』である.「なるほどこれが,円筒形のこの建物外壁を,強風時の風圧から守る仕組みなのか」と窺い知るための貴重な展示物の役目を果たしている.なお「象の風邪薬」とは,1990/10/29にこの突起物のことを扱った毎日新聞記事による表現である.

(登録日2011/7/8)



登録No.009
「環状2号線沿い歩道の新横浜の街をモチーフにしたポール」 − 新横浜300系モチーフ遺産 −

 新幹線300系と新横浜の街をモチーフにした歩道のポールである.機能としては自動車が歩道に突っ込んでこないようにするための,町内に割と多くみられるもの同様であるが,このタイプの新横浜オリジナルポールは,なぜか環状2号線沿い1丁目だけに見られる.ポールがいつ作られたのかは不明だが,初期から「のぞみ号」としてデビューした300系が描かれていることから,1992年3月以降であることはおそらく間違いない.この車両のデビューと同時に,新横浜駅にのぞみが停車(2本/日)するようになった.2011年8月に,「2012年末までに新幹線300系車両が引退」というニュースが報じられたことを機に,このポールを新横浜遺産に登録する.

(登録日2011/9/1)



登録No.010
「みどりの窓口の看板表示」 − 現存しないみどりの窓口の名残り遺産 −

 駅ビルができる前の新幹線新横浜駅構内1階に「みどりの窓口」があった.2007年3月まで存在した篠原口の「みどりの窓口」(JR東日本)でも無く,駅ビル完成後の「きっぷ売り場」(JR東海)でもないその「みどりの窓口」の脇を抜けると,「新横浜ビルディング」およびその中の「オゾン通り飲食街」だった.その「旧みどりの窓口」自体は駅ビル工事と共に無くなってしまったが,今でもそれを案内の起点に使い続けている看板表示がある.すでに案内役をなさないと考えられるが,昔の新横浜駅構内を思い起こさせる名残りとして,新横浜遺産に登録する.


(登録日2011/10/23)









以上.



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