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昭和17年地形図からの地名

横浜市のサイトで公開されている昭和初期の地形図があります.
昭和17年(1942年)の岸根という地図と,現在の地図を重ねると,
横浜線,鳥山川がすでに今とほぼ同じ状態であり,篠原側のいくつかの通りは,今とまったく同じ場所にあることも読み取れます.


新横浜周辺(南寄り)の旧地名を,記載位置通りに書き入れて作成したのが上図です.
概ね以下の通りであることがわかりました.

新横浜1丁目(環2西側,第一公園よりも駅寄り)=榎戸
新横浜1丁目(環2西側,第一公園よりも小机寄)=向判下
新横浜1丁目(環2東側)=岸根境
新横浜2丁目と3丁目(環2西側)=蛇袋(じゃぶくろ)
新横浜3丁目(環2東側)=道念前(どうねんまえ)
新横浜3丁目(アリーナ以北)=畑野
篠原口ロータリー付近=勝負田(しょうぶた)
篠原口〜篠原池を結ぶ道=坊海道
篠原町1500番台付近=飯倉谷
篠原町2000番台付近=表谷
新幹線東側大豆戸町内=大西
鳥山川西側:労災病院付近=新川口
鳥山川西側:ラポール付近=丹後土浮
日産スタジアム付近=大沼

地形図では,新横浜一面は篠原口周辺を含みほぼ田んぼ,2丁目の鳥山川寄りは湿地,
スケートセンターと旧テニスセンターをまたぐように養蛙場があったようです.
篠原側には集落が記入されています.坊海道沿いが結構にぎやかです.

横浜市のサイトでは,昭和27年(1952年)の地図も載っていますが,
上記地名がほぼそのまま記載されてます.2丁目の湿地はすべて田んぼになりました.
航空写真では1947年のものがありますので,見比べられると思います.


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