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1944年の新横浜
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国土地理院国土変遷アーカイブ空中写真より作成

戦時中の大日本帝国陸軍による,おそらく新横浜最古の航空写真です。
第二次世界大戦は連合国側が有利な戦況で,この写真(1944/10)の翌年に横浜大空襲がありました。

1947年の写真と比べると,町内の農業用水路や区画(あぜ道)が未整備だったように見えます。
新横浜の古い地図の解析ページでも,明治〜戦時中は未整備であったことがわかります。


(以下の記述は1947年のページと同じ)

大正8年(1919年)に架けられた亀甲橋(一代目)が、ややずれた位地に架かっています。
なお今の亀甲橋は、2002年ワールドカップの年に架け替えられた三代目です。
「昭和40年頃まではザリガニが採れた」「牛や馬がいた」
「鳥山川周辺は葦が生い茂っていた」などという情報も見受けられます.
鳥山川の位置は現在までほとんど変わりませんが、鶴見川合流地点付近では
東より(写真右)のHANZOYAあたりまで大きく湾曲しています。
横浜線がすでにありますが、駅はありません。
上の右よりに太尾新道(旧道?)らしきものがあります。これに沿って左側を流れるのが鳥山川ですが,
2007年現在,この旧鳥山川は遊歩道になっています。
左下にあるのは現在の横浜上麻生線です。
現在の新横浜篠原口〜菊名を結ぶ道は、このころからあった旧道であることがわかります。
右下は岸根から広がっていると思われる住宅街で、現住所は篠原東になります。
この頃まで使われていた新横浜周辺(篠原町内など)の旧地名を探索してあります。


鉄道行施宿医飲会店
道路政設泊療食社他
鉄−−−−−−−− 1908年 9月 私鉄「横浜鉄道」(現・横浜線)開通
−−−−−−−−他 1910年  月 鶴見川大洪水,これを機に鶴見川築堤が始まり1914年完成
鉄−−−−−−−− 1917年10月 横浜鉄道国有化 横浜線となる
−路−−−−−−− 1919年  月 一代目亀甲橋完成
鉄−−−−−−−他 1923年 9月 関東大震災で小机駅舎が倒壊 横浜線1ヶ月不通
鉄−−−−−−−− 1925年 4月 横浜線 横浜−原町田(現・町田)間 電化
−−政−−−−−− 1927年  月 篠原町他一帯,橘樹郡から横浜市(神奈川区)へ編入
−−−設−−−−− 1928年  月 現港北IC付近(川向町)に新横浜名物「鴨まん」由来の鴨猟場作り開始(30年完成,61年閉鎖)
−−−−−−−−他 1938年  月 鶴見川大洪水で川和から鶴見川河口までが10日間泥水に埋まる
−−政−−−−−− 1939年 4月 港北区誕生
鉄−−−−−−−− 1941年 4月 横浜線 全線電化完了