back to index
1979年の新横浜
国土交通省国土画像より作成
新横浜という町名は、このころ駅名からつけられました。めずらしいケースです。
74年からの5年間では、あまり変化は大きくありません。ビルがまた少し増えた程度です。
歯科技工士学校のビルと京浜第二ビル(現1F横浜ハイボール)のビルがあります。
フィットケアデポの現在位置にすでに工場の屋根のようなものが見られます。
フジビューホテルが開業しています。
2丁目のラブホテル「36」(その後カラオケVOICEになり,2013年解体)ができています。
少し後の1984年撮影だそうですが,2丁目10番地付近のその頃の様子であるという
この写真の中に,
ホテルだった当時の,その特徴的な十文字型の建物が写っています。
撮影したRysh Y様より掲載許可いただきました。
(Rysh Y様オリジナル投稿先は,こちらの「横浜写真アルバム」内です。)
新横浜陸橋たもとにはヤマハ神奈川がありました。
駅前の現ミネタビルは,このころはミネタという洗車場と喫茶店だったそうです。
(レストランを経て95年に現ミネタビル竣工)
現・東京赤坂にあり当時は白金にあった,K-B KEIJI(カーベーケージ)という有名なドイツパンの老舗が,
この頃,新横浜まで移動店舗として週2回パンを売りにきていたそうです.
又口橋あたりには「日本機械土木」や「京浜鉄工業組合」「日本通運」などが
ありました。
1丁目のMobilはこの頃からありました。2007/7/5追加情報ご提供 by qz416様
現在新横浜スケートセンターのあるブロックの,左下側ブロック(元・テニスセンター)ですが,
この当時には「乗馬場」があったそうです.80年代前半に,学生時代馬術部としてその乗馬場へ
馬に乗りに行っておられた方より情報をいただきました.2007/10/9追加情報ご提供 via アンケートご回答者様
このブロック(2丁目−11番地)は,戦前から,
湿地→田んぼ→養蛙場→田んぼ→区画整理地→乗馬場→インドアテニスセンター→会社ビル(2008年竣工)
と,姿を変えています.
Rysh Y様1985年撮影の,乗馬場から鳥山川沿いの2丁目−17番地辺りに散歩にやってきた馬たちだと思われる写真です.
それから,3丁目の新横浜ホテルの斜め向かい,現・横浜銀行事務処理センターの場所は,元画像まで戻らないと
判りにくいですが,環状2号線沿いに全天候型のテニスコートが3面並んでいました.
「1975年頃の写真」として近隣に在住のM.N様よりいただいた新横浜の遠景写真をご紹介します.
撮影場所は,鶴見川北岸にある川向町,亀甲橋上流の鴨猟場付近の土手際で,新横浜方向を撮影した銀塩写真をつなぎ,
パノラマ状にしてスキャンしたファイルです.(M.N様ありがとうございました)
左にある白い建物は,横浜市の現・港北水再生センター川向ポンプ場だと思います.
ただし川向ポンプ場の運転開始は昭和61年(1986年)なので,その前身の施設?なのだと思います.
白い建物の右奥に写るのが亀甲山,上に資生堂研究所(現在は移転してもう無い)が見えます.
それ以外にこれといった目標物が見えず,何だか低いビルが鶴見川の向こうにチラホラ見える程度です.
ほぼ同じアングルでの2008年の写真がこれになります.
川の向こうに,新横浜プリンスホテルや日産スタジアムがあることがわかります.
両方とも少し新横浜部分を拡大してみました.
1975年頃の写真では左の方に赤い二代目亀甲橋が見えます.2008年の方では現在の三代目亀甲橋や元石川線の高架も見えています.
鉄道行施宿医飲会店
道路政設泊療食社他
−−−設−−−−− 1975年 月 新横浜駅前公園開園
−−−−−−−会− 1975年 月 崎陽軒の工場「シウマイセンター」建設(港北IC脇)
−−政−−−−−− 1975年11月 区画整理で鳥山町・岸根町・篠原町・新羽町・大豆戸町の一部から新横浜の地名が誕生
−−−−−−−−店 1976年 月 ホームセンター日興オープン(大豆戸町529-5,2013年6月閉店)
鉄−−−−−−−− 1976年 7月 新横浜駅「ひかり」2本停車
−−−−−−−会− 1977年 月 (有)麻布精機製作所設立(1丁目−9)
−−−−−−−−他 1977年 4月 共生会歯科技工士学校開校
−−政−−−−−− 1978年 月 港北区新総合庁舎開設
−−−−−−−会− 1978年 1月 京浜建物第2ビル完成(2丁目;現1F横浜ハイボール)
−−−−宿−−−− 1979年 月 新横浜フジビューホテル開業
−−−−−−−会− 1979年11月 東京濾器本社ビル完成(1995年都筑区へ転出)